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武士の起源とは

       『武士の起源とは』

f:id:As_J:20170209144725p:plainf:id:As_J:20170209144654p:plainf:id:As_J:20170209144735p:plain    真田信繁          徳川家康          武田信玄

司馬遼太郎さんの著書「この国のかたち」では武士の起源に関する記述があります。武士は海外でもSAMURAIとして有名ですし、私たちは日本を語るときに必ずと言っていいほど武士道を持ち出します。ただ武士が何故、そしてどのように現れたかという経緯を知っている人は少ないかもしれません。

 

今回は司馬遼太郎さん著書の「この国のかたち」に記述されていた内容に、自らのフィルターを加えて武士の起源を書いていこうと思います。

武士の起源には、1)法整備2)経済的インセンティブが大きく関わっています。

 

1)法整備という面

大化の改新(645年)以降、公地公民制が奈良時代まで敷かれました。公地公民制とはご存知の通り、全ての土地と人民は天皇に属するというもので、大雑把に言ってしまえば社会主義経済と言えます。

その後、朝廷は財政収入を増加させるため(増加させねばならなくなった理由は経済的インセンティブの方で記述します)に墾田永年私財法(743)を制定します。墾田永年私財法とは、これもご存知の通り、自身で開墾した土地に関して所有権を認めるというものです。そして寄進地荘園という公家や皇族に収入を収めることで土地の所有権を確保する動きが出てきました。(何故寄進しなければならなかったのかも、経済的インセンティブの方で記述します)

 

2)経済的インセンティブという面

公地公民制という擬似社会主義制度のもとでは、人は田畑を開墾して豊かになろうとしても、知的財産権が確立していないため、土地を朝廷の権力によって没収される危険性があります。このため、人々は経済活動を停止するインセンティブをもちます。よって当然朝廷の収入は低下していきます。ソ連の失敗と変わりません。その後収入増加のために墾田永年私財法によって所有権が認められると、人々は開墾に励むことになります。開墾すれば豊かになれるからです。その中で、坂東、つまり今の関東地方は肥沃な上に未開墾の土地が多く存在しました。坂東の地に人を惹きつける棟梁の器のあるものが現地で指揮をとり、それが組織化していきます。そして得た財産が他の勢力に略奪されないよう、武装化していきます。これが武士の起源です。ただ、当時の朝廷は信用がなく、いつ所有権を撤廃するかわかりません。所有権をより確実に確保するために公家や皇族に取り入る必要があったのです。(寄進地荘園)

 

その後

彼ら武士が朝廷の権力争いに不可欠な武力となり、最終的には農民政権とも言える鎌倉幕府が成立しました。そして武士は日本史において大きな役割を持つ階級になっていくのです。司馬遼太郎さん曰く、農民政権ができたあたりから、日本史は東アジア史と方向を異にしていくことになったそうです。

 

誰もが歴史の教科書で習った用語も、このような観点で見ると学ぶことがまったく苦にはならないと思います。私はそうでした。何故、その制度をやったのか、それが歴史の連続性にどう影響しているのか、という観点が教科書には不足しているからだと思います。

 

日本人の精神を形作る武士道。それを形成していった武士の起源、いかがだったでしょうか。