日米戦争はなぜ勃発したか 〜貧困視点〜

『日米戦争はなぜ勃発したか メシの問題からみた昭和史と現代日本』

                            著者 高橋秀之

この本は日本がアメリカとの戦争につき進んだ原因の一つとして、食料不足と人口問題に焦点を当てています。その中でマルサス人口論マルクス社会主義思想、トンプソン博士の日本人口調査資料、北一輝日本改造法案大綱を交互に引用しながら分析しています。

 

結論は、人口急増と貧困が日本人にリアリティー認識能力を喪失させ、狂気となってアメリカと戦争をした、という主張です。

今回は要点と面白かった視点をこの記事に書いていこうと思います。

<当時の日本の情勢>

要点1)人口問題

日本は近代化以後、急激な人口増加に悩まされます。具体的には1868年は3400万人の人口が1940年には7000万人に増加し、さらに地主に隷属する小作人は388万戸で2400万人に上りました。つまり当時の日本は3割以上が小作人でした。そして小作人が地主に納める小作率は現物納で5割と高騰しており、連続する恐慌も加わって貧困が問題となっていました。

 

要点2)食糧不足問題

日本本土は山林地が多く、耕作面積は国土全体の15.5%と少なかった。当時(1930年代)食糧自給率は、この本によると8割で2割が食料不足で1千数百万人程度が食料不足でした。(ただ2割足りないだけで、その分が餓死するわけでなく、平均のカロリーを下げれば皆生存できる。と吉田茂回想10年に記載されています)そのため、日本は朝鮮と台湾からいわゆる移入米を輸入し、これら植民地で不足している穀物満州の粟を輸入させることで食料をギリギリ補うようになります。矢内原忠雄は「マルサスと現代」において「わが国農村窮乏の根本的原因は農村における絶対的人口過剰であり、その人口が都市商工業に向かったが、供給過剰で吸収しきれなかった」その結果、労働供給量増加により賃金が低く、賃金が低くてはまともに食料も買えないのが現状だったようです。

 

要点3)各国との貿易問題

当時の貿易体制と今の貿易体制はまったく異なります。WTOなど自由貿易体制が発足していない上に、1930年代は世界恐慌の影響でブロック経済圏、保護関税が当然のことで食糧、原料ともに輸入するのは実際困難だったようです。

 

要点4)これらを踏まえて、日本に残された道。

当時は、食料は自国領土で生産するものと考えられていました。現在では工業製品を作り外貨を稼ぎその外貨で食料を買えばいいのですが、上記の通り世界は保護貿易体制で当時の日本は輸入も輸出もままならない。さらに人口急増で彼らを養えるくらいの工業を起こしたい、つまり工業製品輸出で外貨を稼ぎたいがそのための資源がない。ならば資源のある土地を得るべく膨張していくしかない。このように人口→工業→資源→土地というように人口と土地需要が結びつきました。つまり工業立国ができない以上植民地を必要としたのです。

 

<面白かった視点>

・人口革命:近代化をむかえると人口が急増すること。なぜなら、近代科学によって医療が発達し、死亡率が低下するからです。ただ出生率は低下しないので人口は増えていくというわけです。(この本の筆者は日本の場合はそうではなく、江戸時代の結婚に対する制約が解除されたからとしています)

 

・若年層の割合と革命:これはサミュル・ハンチントン著の「文明の衝突」からの引用ですが、人口が増大して若年層が増えた時と社会の革命や変動が重なり合う傾向が強いことを指摘しています。例えばフランス革命ロシア革命明治維新などがそうです。この本では二・二六事件とも因果関係があると指摘しています。

 

・他国の人口増加への対処:普通は増えた人口が外に出れば問題はありません。例えばイギリスの場合、北アメリカ大陸という新天地があり、広大な大地の中、耕作民需要は衰えなかったため高給でした。しかし日本はアメリカから日系移民の禁止などが発令され、満州への移民も考えられたが困難でした。

 

・ドイツがWW2へ向かう原因:ケインズはブロックドルフ=ランツァウ伯が提出したドイツ経済委員会の報告書を引用して「ドイツは農業国から工業国に姿を変えた。農業国として留まっていたあいだは、ドイツは4000万人の住民を養うことが可能だった。工業国としてもドイツは6700万人の人口に生存手段を描けたが、食料輸入が増えた。しかし敗戦でドイツは原料輸入と多額の賠償金、工業の破滅を経験し、彼らは飢餓に苦しんだ。人口革命と飢餓の連鎖が第二次世界大戦へと向かせた。」

 

 

総括

もうどうにでもなれ、と言う気持ちが国民の間で蔓延していたのかもしれない。そこに昭和陸軍の構想、アメリカの対日政策、そして人口問題から来る貧困が日本人の精神構造を理性から切り離し、第二次世界大戦へと向かわせたのか。また新たな視点を得ることができた。

 

次回の記事は川田稔さんの著書である『昭和陸軍全史1,2,3』を書こうと思います。