『日本国民よ、自信を持て』吉田茂、回想10年を読んで。

『日本国民よ、自信を持て』吉田茂、回想10年を読んで。

吉田茂は親英米派の外交官として長きに渡り貢献し、終戦後も日本の復興の土台を作った人物として有名です。戦前から戦後を見てき、理想主義も現実主義もどのような結果になるかをその目で見てきた人とも言えます。またやはり諸外国の要人と会ってきていることからか、思想に偏りがないと感じました。例えば日本国憲法に関しても必ずしも「押し付け憲法」という考え方はしていないし、英米批判もする。吉田茂の印象は、国際感覚(ディプロマティックポリシー)を最優先に、国益のためには感情論を一切挟まず日本の復興のために必要なことを合理的に考え、それを実行した人物でした。現代でも大変参考になることが多々あるので、本文の引用と思ったことを書いていこうと思います。

 

<空疎なる中立主義 集団的自衛権の必要性

—引用開始—

国家防衛の問題に関連していわゆる「中立主義」なるものが、いかに観念的にして、空疎なるものであるかは改めて説くまでもない。最近東欧のソ連衛星国に起こった事件を見れば強大な武力の前には、一国の独立なるものがいかに儚きものか如実に表している。中立を守るに足るだけの武力を擁し、かつ守り得る地理的位置にあるならば、また自ずから話は別だが、日本はそうした立場にいない。日米安全保障条約を基幹とする集団的防衛大勢の他には日本を守る道はないと言って良い。

ー引用終了ー

<思ったこと>

最近話題になった集団的自衛権にまさしく直結する話。私は知覧の特攻平和記念館に行った際、ゼロ戦の整備をし特攻隊員と関わっていた方とお話したことがあります。その方が集団的自衛権に関しておっしゃっていたことは「敵が攻めてきたときに平和憲法を掲げたところでそれは止まるのか。最低限の守りだけでは抑止力にならない。触ったら火傷すると思わせるくらいの攻撃力を持って初めて抑止力になる。日本は科学の分野で優れているからその技術を軍事面にも活かしていくべきだ」と。戦争を体験した方からの言葉は染み入るものがあります。

憲法解釈は国の暴走を抑止する上でとても大事なことですが、それにのみこだわって本質がなんであるか、つまり何故安保法制を解釈変更しなければならないのかを見極められないのは、19世紀の清や朝鮮と全く変わらないように感じます。というのも当時の清や朝鮮は近代化の流れの本質、つまり富国強兵をしなければ植民地化されるという弱肉強食の世界を読めませんでした。(厳密には内政改革はありましたが、結果的にはという話です)中華思想のもと朱子学的な文言にばかりこだわって近代化もままならず、結果は見ての通りです。現在軍事力を高める中国が存在するのにも拘らず、日米安全保障条約の廃棄、平和的に永久中立などで対応できるわけがないと思います。攻めてきたらやるしかない。ただ中国も戦争する気は無いだろうから、より強い抑止力、つまり集団的自衛権は戦争を抑止する効果があると思います。ある中国人の教授と話した際、「集団的自衛権の制定で日本は平和主義という理念を捨てた」と言っていたが、理想はあっていいが、理想を貫くにもある程度の力は必要だろうと感じます。

 

マッカーサーの「日本人は12歳である」発言の真相>

ー以下引用ー

「日本人は12歳である」という言葉をマッカーサーがアメリカに帰ったときに言ったことが当時の新聞社に報道され、日本人の知能を軽蔑したかのような論調のように報道されたが、それは誤解である。マッカーサーは「自由主義や民主主義政治というような点では日本人はまだ若いけれど」という意味であって「古い独自の文化と優秀な素質を持っているから西洋風の文物制度の上でも日本人の将来の発展はすこぶる有望である」ということを強調した。

ー引用終了ー

<思ったこと>

マッカーサーへの誤解をとく上で引用してみました。回想10年では、マッカーサーに近い存在であった吉田茂が彼の人柄を紹介しています。例えば日本との関係では、天皇陛下を尊敬していたことや、初めてマッカーサーが来日したのは日露戦争時で、軍人であった父と共に旅順へ行き、東郷平八郎乃木希典と対面し彼らの高潔さに感銘を受けたことなどです。日本との親交の深さが伺えます。実際に天皇制を維持するために対日理事会へ働きかけたり、天皇制廃止やソ連の北海道半分割譲の要求など連合国の要求を抑えたりしていたのも事実で、現在の日本があるのは彼の尽力が一部あったからと言えます。物事にはバランスがあり、駆け引きがある。押し付け憲法論やWGIP(日本を二度と立ち上がらせないようにしようと偏向情報を日本に植え付けたプログラム)など一方的な右寄りの人がよくいうことも、マッカーサーの人となりを知れば、少し中立的な考えに動くのではないかと思います。

 

押し付け憲法論の真意>

ー引用開始ー

当時(戦後すぐ)の政府首脳はまず少しでも早く日本の独立を勝ち取ることが急務と考え、なるべく内外に日本は平和主義、民主主義国家であることを表明せねばならなかった。しかもマッカーサーとしては天皇とじかに話し、人格に感銘を受けるとともに日本から天皇の地位や皇室を残す方向に考えが向いていた。けれども対日理事会はオーストラリアやソ連が日本の将来の報復を恐れて平和主義の文言を入れることにこだわった。この互いの駆け引きは人間の間で行われたということも知って置くべきだ。つまり、国際感覚が働いていたというのが真実である。

ー引用終了ー

<思ったこと>

吉田茂曰く、必ずしも押し付けではなく、アメリカ側も日本の要求に耳を傾けながら憲法を制定していったことが真実らしいです。当時の独立を最優先するためには内外に平和主義、民主主義を尊重する姿勢をなるべく早くみせねばならなかった日本。これは右寄りの人が言う「日本が二度と動けないようにするためにアメリカが押し付けた」と言うような論調を一部一蹴するのではないでしょうか。歴史を動かすのは人と人です。その駆け引きの中で、日本側とアメリカ側が互いの思惑を持って最善のことを尽くした結果が日本国憲法ならば、その努力を尊重したいと思います。ただし私は、時代に適さない古い条項は徹底的に改憲すべきで、憲法の文言にふれてはいけないという護憲派などは論外だと思います。国を滅ぼすだけです。

 

 

最後に吉田茂の回想10年の最後に書かれていることを引用して終わりにしたいと思います。

ー引用開始ー

「日本国民よ、自信を持て」

あらゆる改革において伝統や文化を忘れないこと、精神を没却しないこと。日本が一部野心的政治家軍人などに誤られて4隣の諸国に危害を加え自らも史上未曾有の敗戦を喫したことが大きな失敗であり、罪悪であったことは間違いないが、そうだからといってここに至った歴史のすべてを否定し、国家社会の根本を覆すことが妥当であるとは思えない。

ー引用終了ー

 

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